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おいしい料理とは・・・何かを求め
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良い素材を求め日本中,そして世界へ本物探しをしています。

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2010年9月

2010年9月30日 (木)

夢への扉!!西の二郎54年の軌跡No7 NY編

ニューヨークの卸売肉店パシフィックセイ

(のちに分離独立したJJジョバーギへ)

では枝肉が入荷しだい

二郎が好きなお肉を選べることに

最初はこの小柄な東洋人に肉のことがわかるのか?

という態度から

彼らが肉をさばいてみると

二郎の選んだ肉は

健康に育ったアンガス牛の肉ばかり

プロの精肉職人でも難しい

枝肉での目利きをやってのけました

彼らはそれ以来二郎のことを


「マイストロ」と呼び

肉の選別の仕方

を彼らに教えるようになりました


そして自家製のパンやパスタもイタリヤ系アメリカ人

マネージャーのマイケル フロレンティーナとアメリカの方々が

感動するような質と味をめざし研究をかさねました


現在 あらがわの秋の名物料理になっている

白トリフのパスタもこのとき生まれました

「本物の料理をお客様に」という二郎の願いの込められた一皿です


そして1987年9月21日

国連総会での演説のため

ニューヨークを訪れた

中曽根康弘首相の昼食会場に

ニューヨークあらがわが選ばれます

中曽根首相にお食事していただく為だけに

5番街と6番街のあいだ

56STREETは

閉鎖され、あらがわの玄関には


大きな日の丸がはためきました

二郎の目には熱いものが・・・


こんなに遠くまで商売のためだけに

やって来たのではない!


「一流の料理人になる

夢を実現する為に来たんだ」と


中曽根首相は国連での演説を

アメリカの詩人ロング フェローの

「明日になるごとに、我々は今日より前進していかなければ

ならない」というテーマの詩で結びました

堂々とした見事な英語で


The American poet, Henry Wadsworth Longfellow, Taught us

in his poem, "A Psalm of Life,"to act so that each tomorrow finds us

farther thantoday. I should like to conclude my remarks with the clos

ing stanza of

that poem:


Let us, then, be up and doing,

With a heat for any fate;

Still achieving, still pursuing,

Learn to lobor and to wait.


「さらば、いかなる運命にも立ち向かう心をもって、

立ち上がり、実行しようではないか。

さらに成し遂げ、さらに追い求めつつ、

努力すること、そして待つことを学ぼうではないか。」


Thank you.


そして1990年12月NYあらがわ閉店


NYでの10年にわたる料理人としての経験

を手土産に

二郎最愛の名牛「三田牛」を使った


「世界一おいしいステーキハウス」


を実現する為に二郎の故郷、神戸へ戻りました。


2010年9月25日 (土)

夢への扉!!西の二郎54年の軌跡No6 NY編

二郎の世界で活躍する料理人

という夢の舞台は

世界の経済の中心地

ニューヨーク

しかもマンハッタン島の中心地

に決め

一年の準備期間の後

1981年6月

36WEST56STREET

という5番街と6番街の間

憧れのティファニィーやハリーウィンストンから

徒歩3分という立地にオープンしました


中央がNYあらがわマネージャーマイケル フロレンティーナ


二郎最愛の三田牛で世界一のステーキ店

を目指す計画は牛肉の貿易が

自由化されておらず

アメリカ産のお肉を使うことになりました

このことはより二郎の料理人魂を燃え上がらせ

自分の腕のみで世界へ勝負するため

ゼロからすべての素材・料理を再構築していくこと

となります



ニューヨーク店 二郎52歳


お肉の仕入れはいろいろ肉店を回り

NY最大の卸売肉店パシフィック セイ

に決めました

最大の決め手は最高級の肉が

枝肉のまま大量に納入され

そこから二郎の好きなものを

選ぶことができ

食肉王国アメリカの

牛肉の真髄を勉強できると考えたからです

2010年9月17日 (金)

夢への扉!!西の二郎54年の軌跡No5


1966年ハワイのカジキ釣り大会にて


1960年代後半より1970年代

世界でご活躍するお客さまと出会う中で

二郎も世界一おいしいステーキ店へ

という夢がふくらんでいきます


このころもっとも二郎の尊敬する

辻 静雄先生との出会いがございました

独学・孤高の料理人 二郎が

唯一 料理会で先生とお呼びする

大事な存在であったのです

先生のご期待にこたえる為に

二郎が考えた答えは


1.最高の素材


2.基本に忠実な丁寧な仕事


という二郎の料理に対する姿勢は

現在の礎となっています


一流のお客様が料理人を育てる


最高の関係がそこにはございました

先生とのお付き合いで

多くのスターシェフと出会うことができました

二郎にとって非常にまぶしい燦然と輝く存在

いつか自分も・・・

二郎も何度も渡仏し


マキシム ド パリ

ラセーヌ

アルケストラート

トゥールダルジャン

タイユバン

ジャマン

ラ セーヌ

セレブリテ(ロブション氏がシェフ)

ジョエル ロブション

など本場の味を心に焼き付けてまいりました



マリヤ カラス氏伝説の1975年 日本公演を料理人としてサポート

いたしました


公演当日も二郎のお肉が食べたいという

お電話があり、二郎がお届けした

伝説のタルタルステーキ マリアカラス

2010年9月11日 (土)

夢への扉!!西の二郎54年の軌跡No4


神戸の海運・真珠・紙業界など財界の方にご贔屓

になりオープンして7年目の1962年

現在の中山手通2丁目の自社屋

へ移転することができました(6席からはじまり40席へ)


さらに二郎の焼くお肉のうまさは

アメリカはもちろんフランスやイギリスのお客さまから

スウェーデンそして、

ついにノルウェーのお客様までまでひろがり

二郎の腕を見込んだ常連さまより

1964年東京オリンピックに出場するノルウェー王子

ハラール5世のお世話をして欲しいという依頼が

ございました。



ハラール5世(現ノルウェー国王)と二郎夫婦



料理人として最高の思い出となりました



ヨット競技の練習をするハラール5世と二郎


外国の要人の方々と長期間、寝食をともにすることにより

ヨーロッパの方々の食生活や好みを徹底的に

勉強することができた二郎の料理人として

今後の礎となった重要な出来事でした

二郎手作りのPC3世号もチームのサポート艇として大活躍!!


そして二郎の料理の腕に感激した


王子より


ノルウェーロイヤルヨットクラブの名誉会員の

称号をいただきました

2010年9月 3日 (金)

夢への扉!!西の二郎54年の軌跡No3


二郎と三田牛 1960年ごろ

なぜ二郎の焼くお肉は他と違うのか?

62年前学生時代、二郎は滋賀県の農家にお世話になり、100%

自給自足の生活をしていました


そのときに但馬牛の育成や物を大切にする心を学びました

そして二郎が農耕に使う為に世話をしていた牛さんは

兵庫県の但馬から近江へ子牛で来て、3年程農耕に使い、最後は松坂で肥育

されて松坂牛として市場にでたそうです


当時、歩いて牛は旧街道沿いに運ばれ、但馬から運べる北限が松坂だったそ

うです


その時、伝説の馬喰さんから学んだことはおいしい牛肉にする為に

とにかく牛を健康に、牛小屋を清潔に、そして愛情を込めて

育てることだったそうです


この教えを忠実に守り、健康な牛を仕入れる為に二郎は

食肉センターの獣医さんを尋ね、内臓の健康状態の良い牛

を聞き仕入れをしました


そして健康な神戸のお肉の中でも

氷の冷蔵庫で長期熟成でき

独特の甘みと旨みがある肉と出会いました

それが三田の農家さんが愛情を注ぎ込み育てた三田牛だったのです


その頃のお肉は、輸送の状態が悪かったので消費する地域

の近くで飼っていました、神戸の場合子牛の生産地の但馬地方より近い

三田や加古川近辺の農家さんでたくさん飼われていました



二郎と三田チャンピオン牛


海外でもニアバイといって消費地の近くで生産され処理した

お肉が一番とされています


生体のまま運んでも牛が弱り肉の質が落ちてしまうのです

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